現存する重要文化財

名古屋城の整備状況

名古屋城の整備状況

尾張藩時代の遺構として現存しているのは、西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓、表二之門、二之丸大手二之門、旧二之丸東二之門の6棟のみ。全て重要文化財に指定されています。

西北隅櫓(せいほくすみやぐら)

西北隅櫓

(愛知県庁サイトから)

御深井丸(おふけまる)の西北隅に建つ外観3重、内部3階建、塗籠造、本瓦葺の櫓で、清洲櫓とも呼ばれている。初層の屋根には、北面と西面に入母屋破風を付けて破風軒下に石落を設け、東面と南面には千鳥破風(ちどりはふ)を付ける。解体修理の結果、柱を中心に転用材が多く認められた。高欄を伴う櫓状の建築の部材を再用したものらしく、清洲城の小天守を移築したものとの伝承も、否定すべきものではないことが明らかとなった。解体修理の際に発見された墨書により、本丸からはやや遅れて元和5年(1619)の完成と判明した。三重櫓の中でも熊本城宇土櫓(うとやぐら)(国重文)に次ぐ規模の建築として貴重である。(愛知県庁サイトから)

東南隅櫓(とうなんすみやぐら)

東南隅櫓

(愛知県庁サイトから)

古くは辰巳(たつみ)櫓と呼ばれ、西南隅櫓と同様に両脇には多聞櫓が附属していたが近代に撤去されている。西南隅櫓と同規模で外観も同様であるが、唐破風を下層ではなく上層屋根の東面に付ける点が意匠上の相違となっている。半解体修理の際に発見された墨書により、宝永7年(1710)に修理がなされ瓦の葺替も行われたらしい。なお屋根大棟の鯱は明治43(1910)年に東京城(江戸城)から移したものとされる。(愛知県庁サイトから)

西南隅櫓(せいなんすみやぐら)

西南隅櫓

(愛知県庁サイトから)

古くは未申(ひつじさる)隅櫓と呼ばれ、本丸の隅櫓は天守と同時期の慶長17年頃の完成とみられている。もとは東と北に多聞櫓(たもんやぐら)が付属していたが近代に撤去されている。外観2重、内部3階建、塗籠造(ぬりごめづくり)、本瓦葺、屋根の棟を南北に向ける。下層の屋根には南面に切妻破風(きりつまはふ)と唐破風(からはふ)、西面に入母屋破風(いりもやはふ)を付け、両破風の軒下に石落としを設ける。濃尾地震で甚大な被害を受けたこともあって復旧や解体修理を経て構造材には新材も多いが、規模や形態は建造当初に復原されている。(愛知県庁サイトから)