名古屋城のマップ

「地下鉄市役所駅にある陶板の名古屋城内郭絵図の原図」
この名古屋城のマップは、㈱文化環境計画研究所(故内藤昌氏、鈴木 規夫氏ら)が制作されたものです。

天守閣

焼失した天守閣は地下1階地上5階建。現天守閣は地下1階地上7階建。それは似て異なるもの。

本丸

本丸は、北西隅に天守、その他の3つの隅に隅櫓が設けられていた。それぞれを結ぶように多聞櫓(たもんやぐら)が本丸の外周を取り囲んでいた。門は南に南御門(表門)、東に東御門(搦手《からめて》門)、北に不明(あかず)御門の3つがあった。なお、搦手とは裏側という意味である。

本丸御殿

築城当時は藩主が居住する御殿であったが、元和6年(1620年)以降、将軍上洛時の御成(おなり=将軍が公式に屋敷を訪問すること)専用となった。実際に本丸御殿を使った将軍は秀忠と家光のみだった。

二之丸

本丸御殿が将軍上洛用となって以後、二之丸御殿は「御城」と称され、藩主の住居兼尾張藩の藩庁機能を有することとなった。

西之丸

南側に榎多(えのきだ)御門があり、桝形・二重城門構造で固めて三之丸と連絡していた。米蔵が建てられ、食糧基地だった。

御深井丸(おふけまる)

御深井丸は本丸の北西に位置し、本丸とは不明(あかず)御門とつながっていた。

隅櫓

天守閣のミニチュア版である隅櫓は、攻めて来る敵を監視したり、防戦したりする重要な建物。隅櫓は2層3階建て。現存しているのは、東南の辰巳(たつみ)隅櫓、西南の未申(ひつじさる)隅櫓、西北の戌亥(いぬい)櫓である。北東の丑寅隅櫓(うしとら)は戦災で失われ台のみ残っている。各櫓を結ぶ多聞櫓(たもんやぐら)には、旗多聞、槍多聞、荒和布多聞、糒(ほしい)多聞、具足多聞があった。だが濃尾地震で破損し、取り壊された。

虎口と馬出

本丸は、3つの虎口(こぐち=狭い入口)があり、容易に入れないようになっていた。本丸の南には大手枡形(ますがた)門、東には搦手(からめて)枡形門があった。枡形門とは、升のような四角形で、外から門を破って攻め入っても直進できず、まさに升の中に閉じ込められて、四方八方から撃たれた。馬出(うまだし)とは、虎口の外側に曲輪(くるわ)を築いて防御力を高めたもの。大手枡形門には大手馬出、搦手枡形門には搦手馬出があった。本丸に侵入するには、枡形と馬出を通過しなければならない。

「正門」とは、離宮時代(明治26年~昭和5年)の呼び方で、江戸時代は「榎多(えのきだ)門」といった。現正門(榎多門)は江戸城の「蓮池門」を移築したもの。表二之門(本丸南二之門 重文)は、本丸入口にある門で、大手枡形の外門にあたり、高麗門という構造になっている。現在本丸東二之門跡にある門は、元は二之丸の東二之門(東鉄門 くろがねもん)だったが、現在地に移築された。

御深井御庭

蓮池の中に、弁天島がある庭園だった。家光はこの庭園を気に入り、江戸城北郭の吹上御庭を造った。